こんにちは、中学生専門・伸び悩み解消学習コーチの久松隆一です。
学校では教えてくれないことってたくさんありますよね。
それが当たり前だと思ってたんですが、最近当たり前ではないのかなという気がしてきました。
仕事柄よく大学生と話す機会があるんですが、「それ習ってないんでちょっと分からないです」とかサラッと言うんですよね。びびります。
学校で習ったことでぜんぶ対処できるわけないじゃん。
学校教育が「これさえあれば何があっても大丈夫!」的な万能薬ならいいんですが、そうじゃない。
よく考えたら、学校教育との向き合い方こそが学校では教えてくれないことなんですよね。
物心ついた頃から学校教育を受けてたら、それがすべてと思ってしまうのも無理がないのかもしれません。
しかし、これからの時代は学校では教えてくれないことの重要性が高まってきます。それも急激に。
だってIT革命によって社会システムが急激に変わっていくんだもの。
だからこそ、学校では教えてくれない「学校教育との向き合い方」をここで一度整理しておきたいと思います。
学校では「失敗しない方法」を教えてくれる
学校で習うことを大きく2軸に分けてみると「知識」と「社会性」ではないでしょうか。
知識については、社会に出たときに一般常識とされるもの。専門分野に入る前の基礎として大切ですね。
社会性については、学校では集団においての立ち振る舞いであったり、先生や先輩への態度であったり、社会生活を送る上でのマナー・礼儀が学べますよね。
一見すると共通点がなさそうに見えますが、そんなことありません。
これらに共通するのは「社会に出たときに失敗しないようにする」という思想です。
物心がつく頃になると、学校ではあいうえおの読み書きや九九の計算を覚えさせたり、相手を傷つけたときは「ごめんね」→「いいよ」のやりとりを身につけさせたりしますよね。
こうしたことを小さな頃から身につけておけば、成長して社会に出たときに失敗することがなくなるからです。
つまり、学校とは社会で失敗しない方法を教えてくれるところなんです。
尖らないことがいつも正解とは限らない
これまでの社会では、本当の自分を貫くと仲間はずれにされて社会で生きていくことができなかった。いわゆる村八分というやつ。村八分にされたら生きていけない=大失敗です。
だから学校では尖ってはダメだよって教えてくれるんです。
でも、そもそも論として、それがいつも正解とは限らないんですよね。
地球上には73億人ぐらいの人間がいますが、誰一人としてまったく同じ人はいません。
人それぞれいろんな価値観があるわけです。
一般的に当たり前とされていることでも、「なんか違う気がする」って違和感を持つことがあると思うんですよ。
その時の感覚が本当の自分だったりするわけです。
失敗することもあるかもしれないけど、時には本当の自分を貫いた方が人生に満足できることだってあります。
本当の自分を貫いても評価される時代へ
これからの時代は本当の自分を貫いても評価されます。
ネットがインフラレベルまで一般化したことで、世界中の人が直接関わることができるようになったからです。
そうすると、自分にしかできないオンリーワンの価値を生み出せたら、それでもう半分成功なんですよね。世界中を探せばいくらでも自分が生み出した価値を必要としてくれる人がいるから、あとは届けるだけ。
今の時代は、村八分にされても別の村の人とダイレクトに交流できるので、人それぞれ自分だけが持っている尖ったもので勝負できるようになってるんです。
で、尖った部分ってだいたい本当の自分を貫いていった先にあることが多い。
本当に自分でやりたいことをやるだけだから、そこにいくら時間をかけても本人は苦にならない。
むしろ楽しい。
より価値の高いものを生みだして人に喜んでもらえる。
評価してもらえる。
で、食べていける。
こうしてIT革命が、本当の自分を貫いても楽しく生きていける世の中を可能にしてくれました。
なんてステキなんだ。
学校と社会にはミスマッチが起きている
でも、学校教育はこれまでの社会を前提としています。
子供たちが失敗しないように、
失敗しないための方法として、
あんまり尖ってはいけないよ!!!
って、教えてくれるところなわけです、学校は。
こうして、尖っても楽しく生きていける時代に尖ることを許さない教育をする、というミスマッチが生まれつつあります。
学校はドレスコードと同じだと思えばいい
じゃあ学校教育とどう向き合ったらいいんでしょうか?
わたしなりの答えがあります。
ドレスコードと同じだと思えばいい
ドレスコードとは服装規定のことですが、高級フレンチのレストランにサンダル履きのお客さんがいたら、やっぱり雰囲気が壊れて食事を楽しめないって人も中には出てきます。
こういう場面ではこうした服装をしておけば、みんなを不快にしなくてもすむよ、ってのがドレスコードですよね。
学校もこれと同じ。
学校では、みんなが気持ちよく社会生活を送るために、基本となる知識や礼儀を教えてくれます。
それをしっかりと身につけておけば、周囲の人を不快にするような失敗がなくなる。
身につけておく方が良いに決まってるんです。
だって結局は「思いやり」なんだもの
そもそも、尖るっていうと、自分勝手で人の思いを尊重しないってイメージになりがちですが、思いやりがないところに人は集まりません。
いくらネット世界中の人とつながっていても、その人に「人を思いやる心」がなかったら、だれも付き合おうとは思わないんですよね。
それに、他人の気持ちが分からないと、どこで何に対して困っているかを見つけることができないので、人に必要とされるような価値を生み出せないんです。
結局のところ、世界は「思いやり」で成立していると思うんです。
本当に失敗しない方法とは「思いやりの心」を持つことなんですよね。
(学校教育は表面的には尖っちゃダメと教えてるけど、本質的には思いやりの心を育ててくれるシステムだったりもします。実はすごいのね。)
で、その思いやりの心をカタチにしたものがドレスコードです。
尖りたければどんどん尖ったらいいと思うんです。でも、ドレスコードを知らずに尖ると思いやりの心が足りずに失敗する。
だから、尖るにしてもドレスコードだけはしっかりと身につけておきましょう!
そしたらみんなハッピーになれるよね!
そんな目線で学校教育と向き合ってみてはいかがでしょうか。
まとめ
まとめます。
- 学校では失敗しない方法を教えてくれる
- 失敗しない方法だけでは本当の自分が輝かないこともある
- 本当の自分をさらけだしても評価される時代になってきた
- 学校教育はドレスコードと同じ
- ドレスコードは思いやりをカタチにしたもの
- だから、思いやりを身につけつつ尖れば、自分も周りもみんなハッピーになれる
ってな話でした。
ぼくは中学生の勉強をサポートする仕事をしているんですが、彼らにはドレスコードを身につけつつ、本当の自分を輝かせてあげたいと思っています。
それが彼らにとって素晴らしい未来につながると信じています。
あなたはどう思いますか?
ぜひ感想などをお聞かせください。